野嶋 玉造(のじま・たまぞう)
1949年生まれ。最初のアユ釣りは小学5年生。プロ野球選手を目指して進んだ前橋工業野球部だったが2年で挫折。そこから本格的にアユ釣りにのめり込み、利根川の激流で腕を磨く。いまでは激流の尺アユ釣り場として知られる熊本県球磨川に友釣りを広めた第一人者。釣りを通して河川環境の回復や保全、地域活性、釣技の向上を目指す「野嶋フィッシングスクール(NFS)」を主催し、全国各地で釣り教室や大会を開催し人材の育成にも尽力。大アユはもちろんのこと、卓越した技術をもって1986年に福井県九頭竜川で開かれたG杯では2時間88尾という金字塔を打ち立てている。群馬県在住。
轟々と流れる激流に深く立ち込んで、アユが掛かれば竿を大きく曲げ込みながら川を下ってのダイナミックなファイト。画になる釣りスタイルと群馬弁によるトークで全国にファンを持つのが、荒瀬の大アユ釣りにこの人ありといわれる野嶋玉造さんだ。面倒見がよく親分肌の野嶋さんの元にはたくさんのアユ釣り師が集い、田嶋剛さんや長谷川哲哉さんら名だたる弟子を育ててきた。そんな野嶋さんが率いる野嶋軍団が9月下旬、尺アユが高確率で狙えると近年注目の大分県大野川に集まった。そこには2019年に最後の弟子に認められて、大野川が初挑戦となる小林正徳さんの姿もあった。
田嶋 剛(たじま・つよし)
1969年生まれ。初めてアユ竿を握ったのは10歳のとき。18歳で本格的にアユ釣りを始め、群馬県利根川や新潟県魚野川をホームに急瀬、荒瀬の大アユ釣りに燃える。近年は全国の河川を釣り歩き、簡単に楽しめるアユ釣りを提唱。頼れる兄貴として多くのアユ釣り師に慕われている。群馬県在住。
長谷川 哲哉(はせがわ・てつや)
1972年生まれ。子供のころからアユ釣りに親しみ、高校1年で初めて自分のアユ竿を購入してからどっぷりハマる。群馬県神流川をホームに富山県神通川や秋田県米代川、栃木県那珂川などを攻めまくる。瀬の止め泳がせ釣りを得意とし大アユ釣りから競技の釣りまでをマルチにこなす。群馬県在住。
和歌山県の日高川や有田川でアユ釣りを楽しんでいた小林さんが、荒瀬に立ち込み大アユを釣る野嶋さんに憧れて、野嶋フィッシングスクールに入会したのは2016年のこと。その年に福井県の九頭竜川で開かれた教室でサインをもらい一緒に写真を撮ってもらって大満足の小林さんに野嶋さんが声をかけた。
「『あんちゃん、昼から釣りにいくぜ』って五松橋の下流に連れていってもらって、『ここでやってみな』っていわれたんですよ。野嶋さんと一緒に竿が出せるってだけで大満足なのに、いちばん下流にいた野嶋さんがいつの間に僕の後ろに立ってて『おめえ、じじいみたいな竿の持ち方しやがって、ばかやろう』って竿の持ち方も教えてもらって。そこからのスタートです。それからちょくちょくお会いして、いろいろ教えてもらうようになりました」
と振り返る小林さん。今回の釣りを大いに楽しみにしての参加だ。
小林 正徳(こばやし・まさのり)
1982年生まれ。17歳のときにアユ型のルアーを作るため参考に見た野嶋玉造さんのビデオに刺激されて和歌山県富田川でアユ釣りに挑戦しハマる。ダイナミックな荒瀬の大アユ釣りに憧れて2016年に野嶋フィッシングスクールに入会。4年後に最後の弟子に認められて修行中。夢は野嶋さんのような大きな存在の釣り師になることと日本記録を更新すること。愛知県在住。
「どうしても瀬の中の豪快な釣りがしたい、瀬の中の大きい魚が釣りたいと。何回か会ううちに小林は釣り以外のこともね、一生懸命やるんだよ。弟子にするときの基本なんだけどね、そういうところも見ていた。それで弟子になりたいって話が出て、弟子を一人前にするのには何年もかかるわけだから、俺も年齢的に考えて最後の弟子だぞと話したわけさ」
弟子にしたとはいえ、最初から細かいことはいろいろ教えないのが野嶋さんのポリシー。細かいことを教えると制約が生まれて釣りが楽しくなくなるからで、そうなる前に、3年間は釣りの楽しさを体で覚えさせるため好きなように釣らせるのだという。
「ただし、イカリバリは使わせない。釣りの修行をしていくうえでいろんなことを学べないからですよ。ヤナギとかチラシっていうのはほとんどが背中に掛かるので、(身切れの心配をせず)いろんな動作ができる。それを覚えてからのイカリバリは大いにけっこう。バレんじゃねえかって気にしていたんではダメなんですよ。イカリバリはへんなところに掛かることがあるからね」
さらに続ける。
「糸は切れ、竿はぶっかけろ(折れ)って教えをするんさね。糸が切れた切れたって気にしていたらもう釣りなんて覚えられない。竿もぶっかいてなけりゃ、基本の釣りができないからね。だから小林にもね、まだ乱暴な釣りをしていればいい、細かい釣りをする必要はないっていってある」
釣技に走る前に、タックルの限界を知りアユ釣りの基本動作をきっち身につけることを何より大切にしている。そうでなければ荒瀬の大アユは釣れないし、アユ釣りの本当の楽しさは味わえないからだ。とはいえ、大事なことはきっちりアドバイスするのはいうまでもない。
前回(2019年)の大野川遠征では尺アユもまじり好釣果に恵まれたそうだが、今回は数日前に降った雨の影響で水量が高く水温が下がって濁りも入り状況は芳しくない。兄弟子たちにまじって荒瀬を攻めていく小林さんも苦戦の末竿を曲げた。ところが手前の少し緩い流れに入ったアユに走り回られてなかなか寄せることができない。悪戦苦闘しどうにかタモに収めたのは25cmクラス。岸に上がってきた小林さんを野嶋さんが呼び止めた。
「いまのはさ、運よく取れただけだよ。何でああなったか分かる? 竿が効いてないからさ。テンションが緩んじゃってアユが勝手に泳いじゃってんだよ。ひとつヒントを与えておく。ああいう瀬の中は瀬の力で魚(の動き)を押さえてくれるんだけど、流れが緩いところにくると水が助けてくれない。釣り師が押さえるしかねえんだよ。釣り師が締める。流れが緩いところにくるほど緩めちゃうんだよ、人間って。だから魚に勝手に泳がれてくるくるしているうちに絡んだりして切れちゃう。今、自分で経験してよく分かるだろ」
真剣な表情で聞き入る小林さん。
「押さえようとしたら上に向いて泳いじゃったんで、うわって思って、中途半端に竿を立てたらまた泳いでいってしまって、これはダメだと思いました。取れたのはまぐれです」と振り返ったが、体験直後の的確なアドバイスは、小林さんの心に刻み込まれたはずだ。
初日は弟子の釣りを見守る途中でわずかな時間竿を出しアユをきっちり仕留めた野嶋さん。2日目はNEWロッドをテストするため朝イチに竿を出した。釣り開始から4分後に瀬肩でオトリを代えると、40分ほどの間に25cmオーバーを2尾追加。
「昨日使ったパワーソニックは、竿がのされても立ってくる粘りがすごいんだよね。激流の大アユがばれない。おじいちゃんが使っても取れる。寄せて取るのに適した竿なんですよ。ただ、いまの釣り人は寄せではなくだいたい抜くんだよね。抜くのがステイタスみたいに。それでそれ用の竿を作ってるの。もう竿を立てたらデカい魚が飛んでくる竿。荒瀬と早瀬はできてんだけど、急瀬がOK出せずに悩んでる。2022年の発売めざして頑張りますよ」
そんな話のあとに呼ばれたのが小林さんだった。野アユの反応を求めて流心の深い方へとどんどん立ち込んでいくがなかなか掛からない。さらに奥へと突っ込みながら釣り下っていくうちに、ようやく竿が強烈に絞り込まれた。竿の曲がりをぴたりと保ちながら下流へと下り取り込んだのは25cmクラス。息を切らして岸に上がってきた小林さんに野嶋さんが語る。ひとしきり話が終わったところで内容をうかがった。
「どうしても若いから向こうの筋ばっかりやってんだよね。前に入っていく力ってついてくるんだけど、下がるってことが同じようにできないとダメなんだよ。素直にしゅっと下がれないとダメ。どうしても前に前に突っ込んじゃう。俺も若いころはそうだったんだけどね。前に出る気持ちは強く持てるんだけど、同じ気持ちで後ろに下がるのはなかなか難しい。それを意識して手前と真ん中と向こうの3つの筋をやりなさいと。掛かる魚が大きかったり、数が掛かるのがいい筋だね。そういうところを見つけんだよと。そんな話をした」
確かに昨日も今朝も野嶋さんの釣りは、奥の筋を釣っていたかと思えば手前に下がったり、竿尻いっぱいを持っていたかと思えば竿尻を余らせて持ったりと、オトリを通す筋をどんどん変えて探り、短時間でパンパンとアユを掛けていた。前後に動いて狙う筋を変えるのは、口でいうのは簡単だ。しかし、実際にやってみるとなると、出来ていそうで出来ていないもの。特に流れが強い場所では目で見えない後ろに下がるのには勇気がいる。
「弟子が釣っているところを見れば分かるので、テーマを与えるけど、一つのテーマを覚えきるまで3シーズンはかかる。ちゃんとやろうと思っても、1年目は頭でこうしなくちゃなと思う。2年目はある程度できたなと思う。それでやめるとまた元に戻る。無意識でできるようになって初めてできるってこと。頭で考えているうちはダメだって。体が勝手に動くようにならないとダメ。それには3年かかるんですよ。ただし、一つのことを覚えるとほかのこともついてきちゃう。釣技的なこともすべて。そういうもんなんですよ」
と語る野嶋さん。
「野嶋さんのいうことは、そのとき分からなくてもその次の釣行とか、そのまた次の釣行とか、あとあと分かることがすごく多いですよね。いわれたことだけ頭に入れて意識してやると答えが帰ってくるんですよ」
尺アユは釣れなかったが、大きな収穫を得た小林さん。こうして野嶋イズムは受け継がれていく。